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ひかえ目な天才

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「ひかえ目な天才」 2014年3月20日。今日は、国士舘大学の卒業式だ。今年の男子新体操部の卒業生は、佐々木智生、弓田速未、小川悟、池上朋宏、そして小谷笙平の5人。個性豊かな、そして、現在、昇り調子にある新生・国士舘の流れを作ってきた学年だと思う。彼らが卒業してしまうことを、とてもさびしく感じているファンは多いのではないか。じつは私もそのひとりだ。中でも、どうしても書いておきたい選手がいる。小谷笙平だ。小谷が最後に個人の演技をしたのは、今年1月、長野でのテレビ信州杯だった。種目はスティック。くるくるとよく表情の変わる演技で、満面の笑みを見せたかと思えば、厳しく強い表情も見せる。大学4年生になった小谷の真骨頂と言える演技だった。そして、テレビ信州杯では、小谷はこの作品を、「卒業」にふさわしい晴れやかさで演じきった。それだけではない。テレビ信州杯では2日目、3日目の競技終了後に、エキシビションとして国士舘大学の集団演技が披露された。「Colors」という7分を超すこの長編演技は、昨年の新潟の演技会に向けて、国士舘の学生たちが創りあげた作品だと聞いている。なかでも、中心になって創作したのが、小谷と弓田速未だった。隊形や移動などは主に小谷が、動きは弓田が中心になって考えた、のだそうだ。この作品は、4つの曲をつないであるが、その選曲をし、編集をしたのも学生たち。そこでも小谷は大きな役割を果たしている。さらに。今年のテレビ信州杯でも、国士舘ジュニアのキッズ演技は、かわいらしくて評判だったが、「あまちゃん」の曲を使った今年のキッズ演技を創作したのも小谷だ。キッズ選手権の日は、ちびっこの指導にも奔走し、いいお兄ちゃんぶりを発揮していた。正直な話、今年の国士舘の4年生の中では地味な存在だった、と思う。しかし、外側から見ているだけではわからない存在感をもった選手であり、彼こそは「天才」ではなかったか、と今になって私は思っている。1月25、26日。国士舘大学で、「男子新体操合同合宿(東日本会場)」が行われた。そのとき、恒例になっている作品つくりがあった。ジュニアから大学生まで、体格も技術もバラバラの20人近くが1チームになって、作品を作りあげる。創作時間はそれほど長くない。チームリーダーを務める大学生の力に負う部分が大きいのだが、ここでも小谷の働きは際立っていた。まだ、ほかのチームが、どうしよう? と話し合ったり、手さぐり状態のうちに、小谷がリーダーを務めるチームは、まるで「昨日までやっていたことの続き」のようなスピードとスムーズさで演技を作り上げていく。普段は、ひかえ目な印象の小谷だが、このときばかりは監督さながらの決断力、リーダーシップを見せていた。「Colors」の創作では、小谷が活躍したらしいという話を、国士舘OBの鈴木駿平(現・アルフレッサ日建産業)にしたときの鈴木の言葉を思い出す。「自分が4年だったころも、小谷のそういうところにはすごく助けられてました。」鈴木が4年生のとき、小谷は2年生だった。それも、入学してずっと団体のメンバーとしてやってきたが、レギュラーポジションを得ることはないまま、2年の東インカレのあとに個人に転向したのだった。このころ、私もちょうど国士舘の練習を見に行くことが増えていて、小谷が個人に転向したばかりのころも覚えている。あのころの彼は、とにかくがむしゃらに頑張っていた。個人選手としてのスタートの遅さ、同級生である佐々木や弓田に比べて個人での実績がないことなども、すべてわかったうえで、「個人をやる!」と決めたからには、やれるだけのことをやってやる! そんな意気込みが感じられた。そして、そのがむしゃらさは、最後まで失われることがなかった。個人でのインカレデビューが大学3年と遅かった小谷は、3年のときはジャパンには進めなかった。が、3年のインカレ後に、佐々木や弓田に話を聞いたとき、彼らは口をそろえて、「来年は5人全員でジャパンにいきます」と言った。団体メンバーの小川、池上は怪我でもない限り、おそらくいけるだろうことを考えると、「5人全員ジャパン」を実現できるかどうかは、小谷にかかっていると思われたが、佐々木も弓田も、「小谷は絶対に大丈夫。あいつはそれだけのことはやってます! 誰よりも努力してます!」と言い切った。そして、その言葉通りに、小谷は4年の全日本インカレで17位となり、ジャパンに進んだ。ジャパンでは、小谷にしては珍しく、どの種目でもミスが出てしまった。それでも、あきらめることなく、粘り強く演技した最終種目のロープでは、「やりきった」と思える演技を見せ、9.125をマーク。そして、すべての演技を終えたとき、彼は笑顔だった。あのソチオリンピックで、金メダルを期待された浅田真央が、SPでのミスで16位に沈み、フリーでは素晴らしい演技を見せたものの、総合6位で終わってしまったことは、本来は「残念なこと」のはずだが、誰もそうは言わなかった。結局、人は、優勝だのメダルだの、に感動するわけではないのだ。大きな困難を乗り越えた姿。それまでの自分に打ち克った姿。今までの自分よりも大きく成長した姿。そこに感動するのだ。ソチでの浅田真央がそうだったし、小谷笙平も、同様の感動を与えてくれた選手だ。小谷のコツコツ努力できる才能。ものを創りだす才能。ひかえめなのに周囲を動かせる才能。人に愛される才能。それらを思うと、彼にこそ、なんらかの形でずっと新体操に関わっていてほしかった。しかし、小谷は、4月から一般企業に就職する。彼は4年生になる前に、しっかり就職活動をして、4年の春には内定を得ていたのだ。「高校時代、たいした実績のなかった選手でも、国士舘で新体操を頑張ることができること。新体操を頑張りながら、学校の勉強も、就職も頑張れることを示したかった。」4年生の追いコンでの挨拶で、彼は言った。新体操に限らず、スポーツに懸けている学生にはなかなか難しいことを彼は成し遂げたのだ。それも、自分自身の強い意思で。2年前、小谷に話を聞いたとき、とても印象に残っている彼の言葉がある。「もう、残念な選手で終わりたくない。」大分県の日出暘谷高校出身の小谷。高校時代の同級生には、菅正樹(2011・2012インカレチャンピオン。現・シルクドゥソレイユ)や、古田真大(福岡大学を今年卒業)がいる。彼らに比べれば、目立たない存在だったのかもしれない。「残念な選手」と言われる存在だったのかもしれない。だけど、国士舘での4年間を終えた今、彼のことを「残念な選手」と言う人はもういない。「いちばん強い選手」ではなかったけれど、ある意味、もっとも才能にあふれ、もっとも人間的な強さをもった選手だったと思う。いつか。本人も納得できる形で、また新体操に戻ってきてくれたら。私はそんな夢を捨てきれないでいる。彼は、そう思わせる選手だった。●国士舘大学集団演技「Colors」 https://www.youtube.com/watch?v=M8uSi6jC1OA                                    <撮影:清水綾子>

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