チャイルドの変遷今年もクラブチャイルドが終わった。3~6年生に関しては、手具ありの大会に代わって2回目となった今大会を見ていて、感じることがいろいろあった。最初に言っておきたいのは、私は、チャイルドはよい方向に向かっていると思っているということだ。今回で第16回。様々な変遷を経て、現状に至っているクラブチャイルド選手権だが、そのときどきの状況に合わせて、必要な変化をしてきたと感じている。「手具あり」の競技にするという変更は、それらの変化の中でももっとも大きなものだったと思うが、「新体操」として、「スポーツ」として、いい方向に向かっていると思う。そして、じつは、もう1つ大きく変わったことがある。おそらく、昨年からだと思うが、大会時のフロアに監督など指導者が入れなくなったのだ。チャイルドはもちろん、キッズでさえ、あの大きな体育館で一人、戦わなければならない。競技フロアの裏側のアップフロアにいるときから一人、選手召集係に呼ばれると、一人で本番フロア脇に行き、出番を待つ。付き添いはいるとしても、同じ小学生だ。音楽係もそう。とにかく競技フロアに、「大人」の姿がない。初めて見たときは、少し驚いたが、これがとても清々しくていいのだ。本番前に、指導者が選手について、あれこれアドバイスし、フロアへ出ていくときには、背中をたたいたり、肩を抱いたりして、選手を力づけ送り出す。その光景は、ときに心が温まり、感動的なものでもあるが、ことチャイルドの場合は、どうも指導者の熱さや必死さが際立って見えることが多かった。その結果、小さな選手たちが「やらされている」ように見えてしまいがちだったのだ。競技フロアでの彼女たちの演技が巧みであれば、巧みであるほど、その「作品」を仕上げた指導者の力量や、熱が伝わってくる。チャイルドはそんな大会になりつつあった。選手たちの演技からは、本人たちの「新体操大好き!」や「踊るの大好き!」な思いよりも、指導者にほめられたい、認められたい(ときには、「怒られたくない」)という思いが伝わってくる。そして、そこにはもちろん、指導者だけでなく、「親」の姿も感じられた。本番当日の競技フロアに入るか入らないかだけで、なにかが劇的に変わるとも思えない。今でも、チャイルドには、熱い親、熱い指導者がついているだろうと想像できるし、なにもそれが「悪」だと思っているわけではない。そういう「熱い時期」はあってもいいし、ときには必要、でもあるだろう。ただ、それがいきすぎないように。そのための工夫は必要だと思う。そういう意味で、今の「小学生といえど、一人で競技フロアに向かう」という今のあり方は、じつにいいと思うのだ。そして、「手具あり」になったことにより、いくら素材としては素晴らしいものをもった選手でも、ミスすれば点数が下がり、順位も下がるという、スポーツとしては当たり前のことが起こる。この日の演技に向けて、たくさん練習してきたんだろう、と思われる熟練した演技、多くのことに挑戦してきたと思われる演技が評価される。これもスポーツしては当たり前のことだが、やっとそうなってきたように思う。もちろん、せっかくここまで築いてきた「基本の大切さ」が、手具の巧拙や演技の完成度ありきで、ないがしろにされたのでは本末転倒だ。でも、そうはならない、とここ2回の大会を見て思えた。新体操には、大切なことがたくさんある。必要なこともたくさんある。そのすべてを最初から兼ね備えている選手はいない。だったら、それぞれが強い部分をのびのびと発揮し、足りない部分はだんだんと補っていけばいい。成長の過程は人それぞれ違っていていい。ここ2回のチャイルドを見ていて、私は、そう思えるようになった。※ジムラブに、「アジアジュニア選手権大会(個人)結果」を、アップしました。
http://gymlove.net/rgl/topics/report/2014/02/25/post-87/※ジムラブのギャラリーに、「キッズコンテスト」の写真を続々アップしています。
http://gymlove.net/rgl/topics/gallery/2014/02/24/13-6/※ジムラブに、「クラブチャイルド表彰式」をアップしています。
http://gymlove.net/rgl/topics/report/2014/02/23/16-3/※ジムラブに、「キッズコンテスト表彰式」をアップしています。
http://gymlove.net/rgl/topics/report/2014/02/23/13-3/
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