私ごとだが、インターハイ会場から直接、九州の実家に向かっている。今回は夫と2人で、「18きっぷ(各駅停車乗り放題のチケット)」を使って、2日かけて熊本まで旅することになった。が、おりしも台風が直撃。今朝5時半に大垣に到着し、そこから順調に新快速で西に向かっていたのだが、現在、姫路まで来たところで、この先の電車がすべて運休とのこと。台風が過ぎるまで姫路でとどまることにして、姫路駅に降りることにした。さて、どうしよう?と考えていたら、夫が電源のあるタリーズを見つけてくれたので、現在、そこで持参したパソコンを広げ、ほぼ家にいるのと同じ状態を作りだして台風が過ぎ去るまで、記事を書いていられるという事態に。で、今、タリーズでパソコンに向かって、さて、どれから書こうか? と考えたのだが、じつは私、優勝チーム、選手から書くことはめったにない。勝ったところはいい。勝ったことですでに報われているし、たくさんの人から祝福され、注目されているから。むしろ、惜敗した側にこそ、なにか励みになれば、と思って記事を書くことが多いのだ。その例にならうならば、今回も「埼玉栄」は最初ではないのだが、今回ばかりは、やはり「埼玉栄」から書かせてもらいたいと思う。なぜなら。今年のインターハイでこそは、「優勝」チームになった埼玉栄だが、じつはこれが初優勝。創部から32年目にしてやっとつかんだ栄冠だった。ここ数年、年々栄の評価は高まってきており、ファンも確実に増えていた。まだ、「優勝してもおかしくなかった」とまで言われた年はなかったが、いつも5~8位あたりに位置する栄の順位が、「もう少し上でもよかったのでは?」と言われることも多かった。そう。埼玉栄は、近年、コンスタントに「優勝も狙えるチーム」を作り上げてきていた。個人でも活躍する有力選手がいる年も、そうではない年も。ドラマチックな曲を使っても、ディズニーメドレーを使っても。毎年違って、毎年いい!埼玉栄は、そんなチームになっていた。ここに至るまでには、「なぜこの評価なのか?」と悔しい思いをしたこともある。「なぜ本番でこのミスが」と唇をかんだこともある。本番前日の公式練習で選手が怪我をして本番には5人で臨んだこともある。
32年間のうちの、私が知っているのは、ごくわずかなここ数年のことではあるが、それでも、「敗者の悲哀」を埼玉栄が何回も味わってきたことは知っている。だから、いつもと違って、今回は、優勝した埼玉栄のことを最初に書こう、書いてもいいんじゃないかと思ったのだ。今回の埼玉栄の優勝のもつ意味は大きい。当事者だけでなく、他の数多くのチーム、選手にとっても「希望のわく優勝」だと思う。まず、男子新体操において久々の「初優勝」であること。さかのぼれば、2005年千葉インターハイのときの「精研高校(現在の井原高校)」以来だ。それほどまでに、男子新体操では「勝ったことのあるチーム」以外が優勝するのは難しいのだ。いや、優勝どころか表彰台さえも、ほとんどの学校にとっては遠い。埼玉栄だって、1987年の北海道インターハイまでさかのぼらないと台のりさえしていないのだ。近年、男子新体操は注目度も上がり、ジュニア層も増え、着実に底上げはされてきている。今大会を見ても、なんと23チーム中17位までが17点以上。こんなことはかつてなかったのではないか。以前は強くなかったチームも、飛躍的にうまくなっている。新しいチームもできてきている。それでも、過去に実績のあるチーム以外には表彰台も優勝も遠いままでは、いずれ気持ちもなえてしまう。そうならないためにも、今回の埼玉栄の優勝は、かっこうのカンフル剤になったのではないか。たとえば恵庭南高校。昨年に続き、今回も3位。至難の台のりを2年連続で果たしたこのチームが、数年以内に優勝することがあるかもしれない。埼玉栄の優勝で、その可能性もずっと現実味を帯びて感じられるようになったのではないか。そして、井原とも青森とも、九州の新体操とも違う個性をもった演技での優勝。これも他に与える影響が大きいと思う。「流行や傾向に迎合するのではなく、わが道を究めることで活路が開くことがある」と、埼玉栄の優勝は示してくれたように思う。そして。採点競技では、どうしても採点に納得がいかないことは起こり得るが、埼玉栄の石田監督からそういう類の愚痴は聞いたことがなかった。石田監督は、「もう少し(点が)出てもよかったですよね」と水を向けても、「うちの力がまだ足りないから」と、採点への不満をまず口にしなかった。正直、「えっ?」と思うことはあっただろう。しかし、それは、勝ったことのないチームにとっては当たり前のことだ、と彼は受け止めていたんだと思う。だから、「誰もが点数を出したくなる演技を、いつかは自分たちがすればいい」と、負けた試合の後の彼の姿勢はいつもそうだった。そういう指揮者がいたから。だから、このチームは、時間をかけて地道に地道に伸びてきたのだ。そして、この監督は、決して「自分の力」を誇示しない。今回も、「大手柄ですね」と声をかけると、「生徒たちが本当に頑張ってくれたので」と生徒を労うと同時に、「やはり、阿部先生がいてくれたからです」と彼は言った。埼玉栄の新体操部創部以来、ずっと監督を務めていた阿部好孝は、石田渓に監督を譲ってからも、ずっと埼玉栄の新体操の精神的支柱だった。「阿部先生が退職される前に、優勝したい」その思いがずっとあったと石田監督は言った。その強い思いをみんなにもたせてくれた阿部の存在の大きさを、そうやって一番の勝因にあげることができる。そんな監督が率いるチームが優勝したことが、とても嬉しい。「為せば成る日本一」表彰台にもめったにのれないときでも、ずっとその大きな夢を背負い続けてきたチームが、本当に「日本一」になった2014年8月9日、この言葉は「真実」になった。<撮影:赤坂直人/清水綾子>
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