再びフィギュアですみません仕方ない。この3日間というもの、日本中の多くの人がフィギュアで涙し、感動し、魂を揺さぶられたのではないかと思う。私もその一人だ。終わってみて、しみじみ思うのは、女性の強さ!そして、ライバルとなる仲間がいることの大切さ。「続けること」の意味。とても語りつくせない。しかし。あの高橋大輔選手の、FS。冒頭の4回転ジャンプを2つとも失敗したあとの演技は、神がかっていた。おそらく状態は最悪で、足の傷も、手のけがも痛かっただろうし、「これでもう五輪はない(かも)」という絶望感の中での演技だったろうに、はっきりと彼が、「これが最後の演技になる」という思いですべっていることが伝わってきたあの4分間。あれは、ひとつの奇跡だったように思う。高橋選手が悲痛なインタビューで語っていたように、「これで最後」「今まで応援してくれてありがとう」そして、なによりも自分自身のスケート人生に対しての惜別の思い。そんなものが、ほんとうに見ている人の多くの心の中に流れこんできたのではないか。フィギュアでも、新体操でも、よく「伝わる演技をしたい」と選手は言う。「なにかを伝えたい」と言う。そして、その技術に長けた選手のことを、「表現力がすぐれている」と評したりする。しかし。「伝える」のではなく、「伝わる」ものもあるんだ、と今回、高橋選手だけでなく、村上佳菜子選手のSP、鈴木明子選手のSP、FS、織田信成選手のFS、町田樹選手のSPなどを見て思った。素晴らしい演技は、ほかにもたくさんあったが、「伝わってくる」という点では、これらの演技は格別だった。もちろん、高橋選手のFSも。ふと、青森大学の2009ジャパン団体の演技を思い出した。あの演技は、早逝した先輩への追悼の気持ちを込めた演技だったと後で知ったが、あのとき彼らは、「自分たちは、先輩がなくなったことをこんなに悲しんでいます」と、観客や審判に伝えようとしていただろうか。おそらく、そうではない。伝えたい相手がいるとしたら、それはその亡くなった先輩であり、あの演技は、観客に「伝えよう」とした演技ではなかったと思う。ところが。そういう演技だからこそ、多くの人に「伝わった」。彼らの悲しみも、決意も。だから、あの演技は伝説になったのだ。「伝える演技」と「伝わる演技」。こと、感動という面においては、後者に軍配が上がるような気がする。狙ってできるものでもないのが、難しいところだが。※ジムラブのギャラリーに「全日本選手権/エキシビション(国士舘大学)」をアップしました。
http://gymlove.net/rgl/topics/gallery/2013/12/24/2013-140/※ジムラブのギャラリーに「豊田国際/笹田夏実(日本)」をアップしました。
http://gymlove.net/gl/topics/gallery/2013/12/23/post-22/↑ほかに美濃部ゆう選手、ビクトリア・ムアーズ選手(カナダ)もアップしています。
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